しまった…もっと早めに動いているべきだったか、



ドレークは少し間をおいて、そういった悩みに目をやった。傍から見れば無表情の中の一つのような、そんな違いしか見いだせぬその顔だちであろうが、それを目の前に見ていた部下たちは、彼以上に、その反応の意味を悟っていた。
書類の一部を手に持って、自分にいつからか離れないように重なりあう温度…、その姿に目をやってみる。
先ほどまでは盛んに動き足を急かせ、彼に余計な動き一つできないような、そういった秀麗さとでも見せていたような有能な
者たちも、気付けばその様子を窺うようすを動作に割り込んでいる、尤も支障は出ない程度に、だが、少なくとも彼に気付かれる、程に。その前で書類片手に持っていた部下が、おずおずと彼の横に視線をやり、すこし悩ましげに書類の端を摘むしぐさを見せながら、彼の変わらない文字を追う視線を追いかける。
「…起こしましょうか、小将」
その視線が、一度流れに逆らいぐらりと文字から外れていったのを、部下は見逃さなかった。
あくまで気遣いのつもりだという空気を部下なりに漂わせてみても、ドレーク一人の視線だけで、その沈黙は重苦しく変わらなかった。
ドレークがそれに安泰の反応を示していなかった事が、嫌でも受け取れる。
そしてそれにつけあわせるかのように、彼も小さく言葉を返した。
「いや……さて、」
言葉とともに少しでも動こうとしたら、隣の姿が少し揺れる。それでまた、ドレークの意思が揺らがれる。わかってはいる、つもりなのだが。
眼をやれば、そこで小さくドレークに倒れ込む、の姿があった。
ドレークの肩にすら届かない頭が、二の腕の上あたりから重なって、寝息を立てる。
まるで心地の良い夢であるかのような、そのたわやかな呼吸の姿、恐らくでもなくても、熟睡であろうことは見ているものすべてに理解できた。
ドレークには、机にでも戻って書類を書いたり、または雑務であったりと色々動き廻る必要がある。ならば肩を動かしてその安眠を終わらせればいい話なのだ、それだけで今までのドレークの不自由は、小奇麗に解決する。
しかし、それが今の今まで現実として起こらなかったのは、困惑の平行線と同じに、彼自身が理解できない、その境の距離の中にある。ここで起こしてしまうという行動の、どこに自分の躊躇う要素があるのかすらわからない。自分ですら解決できない。
だからドレークの表情はいつまでも固まったばかりであった。
「……大分お疲れの様だと思います。暫くは二方ともご休憩なさっては」
ドレークの帽子が気付かれない程度に揺らいだのが、部下には見えたであろうか、部下の、少し落ち着いたその声が、部屋の中でゆっくりと流れた。
「いや…書類はここにある、ペンを持ってきてもらえるか、ここでやろう」
「はい」
起こそうという策が、限りなく自然に消えたのは、二人に承知の話だっただろう。
ドレークは、ゆっくりと呼吸をつづけるに、一度だけ視線を寄せて、仕事を再開した。
しばらく時間がたった時、部屋にノックがかかり、一人の部下が入ってきた。机ではなくソファに座っていたドレークに視線をやると、同時に入ってくるの姿に、軽くであるが眼を見開いた。
「中将、何を」
「ああ…スモーカー少佐か、」
スモーカーは、幾許驚きに声を落として、それと不思議なものでも見るかのような目つきで、二人のその姿に眼をやった。
確かにそういう関係であるとは聞いているが、ドレーク小将が、そういった私情を仕事場に持ち込むなんて、ありえない話であるのだ。
そして、それと同時に、スモーカーの見る限りに、彼自身が、自分の横の存在と、仕事との交錯で、困惑しているように見えて、とても自分の知っている上司とは思えなかった。
スモーカーは、持っていた書類の類を机に置き、さて、と一息つく。後ろで女一人に梃子摺る上司を、これ以上どう呑み込むべきなのだろうか。

ドレーク少将は、確かに温厚である上、強く、申し分のない上司である。
スモーカーにとっても信頼できる一人であり、共に任務をこなせば失敗などまずない。
スモーカーは、だからこそなぜ彼がこういった類で悩み落ちるのだろうとすら考える。
どちらかといえば、彼が手綱を持っての存在を手に持っていてもいいだろうと思えるものだ、は海兵であってもスモーカーよりも階級は遥か下であるし、
況してや部下を大勢引っ張り纏める統制力などまず持っていないだろう。
ドレークの為にいる女。そういった位置であるものだろうと、スモーカーなりに想像していたのだ。
だが、そのありとあらゆる考え、噂、自分の憶測が今まるで嘘であると見せつけられてしまった。
という、たった一人の女の為に、今ドレーク少将は動く事をやめ、ソファから動かずに仕事をしている。
おまけに辺に動いて彼女の眠りを妨げぬ様という気遣いまで付いている。相当な話だ。
そして困惑を窺わせるその声の揺らぎ…まるで彼女の為でしかない。
これでは、ドレーク自身がに落ち込んでいる証拠ではあるまいか。
まるで彼女に片思いでもしている、この上なく至純である青年ではないか。
スモーカーは言うべき言葉を見失った。彼は自分がという女を捕まえたというのに、まだ手も出せない幻想だとでも思っているのだろうか。
まるで手も出せない、いや、出したくないのか、その隣にいるという事実に、困惑と安らぎを交えて、けれど仕事は全うだとでも見せたいように見える。
彼は誠実であるし、今までどれほどの女性が彼に集まったかは数えられないだろうに、それが、まさかこういった真実と出会うとは。
(…女扱いも上司だと踏んでいたのは、俺だけかもな)
あられに視線がたゆたい、彼自身、仕事八割に二割型まだの体温に気が逸らせれない。
少しでも彼女が動くと思えば、ちらりと視線を寄せて、気にするように書類を触る。
スモーカーにはおかしい光景に見えたのだが、周りには一体なんの見世物かと思ったろうか、部下たちはなるべくドレークと視線が噛み合わないように、出来るだけ固まって仕事の動作を見せる。
こちらも半分は窺いながらに、それも、とても緊張した、まるで今から告白でもする友人を見守るかのようだ。
(……さて、な)
スモーカーは、静かに加えていた葉巻をとると、持っていた携帯用の袋に入れもみ消して、噛み合わせるよう歯をならせた。
「邪魔なら起こしたら良いんでは、」
その時、明らかにびくりという擬音でもつけたい、そんな空気が漂った。
彼の戸惑いに似た指の動きが止まり、言葉が返ってこない。あかあかとした”上司”の姿に、なんだか穏やかにやるせなさが込み上げる。
そして一気に後ろから重圧のような視線を浴びる、まるで刃のようにスモーカー目掛けて降り注ぐ、その視線はとても揺るぎなかった。
「(ドレークさんの邪魔するなよ……!!!)」
何を言いたいかすらまるで見え見えな様すらおかしくて、スモーカーは、努めて後ろには視線を寄せなかった。
純にドレークの姿を応援しているという大人達だ、とてもかわいらしい部下である。そんな皮肉に口角を上げた。
スモーカーには重々承知である。彼は離れたくなどないのだ。だが誰にもそういった自分でないと思わせる”理由”も見つけられないままに。
ただに困惑に迷い。世界が上手いように自分の形を崩さずこの時間に浸れるという、そういった現実を待っている。
先ほどの部下と同じように、気遣いの型にでもうまく纏めてくれればいいと願っているのだ。
(ガキでもあるまいし…わざわざ)
小さくスモーカーが溜息をついても、ドレークは気付く事は無かった。
「…書類はソファのがいいですね、眼を通してサインだけで構わないんで。」
その、吐き出した言葉は、ドレークの願いにはどう響いただろう。理由でもない了解の姿に。
「邪魔になったら起こしゃあいい、あんたの邪魔には見えないですがね」
「………」
その言葉に、もう一度怒りのような声が後ろから漏れる勢いであった。
皮肉だとでも思ったが半分。半分はからかったという事の怒りだろう。スモーカーにはそれが可笑しかった。
言葉も返せぬままにドレークは、スモーカーが差し伸べる書類に手を向けた。
静かに、そして柔らかい部屋になった気がして、スモーカーは居心地の悪い気分にさせらる。そしてそれを作ったドレーク本人に、大きな溜息を溢したい気持だった。
右手でサインを書く動作が、少し彼女の妨害になったかもしれない。彼はゆっくりと動くべきか、それとも思い切って素早く終わらせるべきかの間で悩んでいる。
なんともいえない、その落ち着きのない彼の仕草に、スモーカーはちいさく声をもらした。
「…用があるのか、スモーカー」
始終穏やかには伝わったものの、ドレークがスモーカーの存在に、まだ困惑気味であることは理解できた。
あたらしい葉巻を取り出して、火をつけるまでに、言葉を落とす。
「あんたは…見た目と違って子供に好かれそうだ、」
「…お前もそうだろう」
そうドレークが言い返し、スモーカーを初めて見れば、スモーカーのその少し愉快でもあるかのような顔に、視線を落とした。
「…そこまで悪いものでもない」

(そこまで、かよ)

そんな言葉にまた笑いそうになりながらのスモーカーと、ドレークをよそに、その原因の主根であるは、いまだに静かに寝息を立てていた。




ふたりのあいだに

(20090510)